n28p03_005 ©1993 中島敏

炊き出しに並ぶ労働者の列を映した写真。2階にあがる階段からみた光景が構図としておもしろいと思い、撮影した。左側の隠れているところで炊き出しが行なわれており、センターを何周も折り返すほど、長い行列ができていた。この写真は、バブル崩壊後の失業が釜ヶ崎にいかに深刻な影響を与えたのかを物語っている。

n27p04_011 ©1992 中島敏

中島は、数々の飯場を経験した。一度きりの飯場もあれば、何度も通った飯場もある。写真は、兵庫県伊丹市の杉山建設。人夫出しの業者であり、武庫川ちかくの171号線沿いにプレハブの宿舎が建っていた。この飯場に行ったのは、一度きりであった。

n27p04_001 ©1992 中島敏

宿舎の廊下はかなり狭いが、これは当時の人夫出し飯場では一般的なタイプである。左右に並ぶ部屋のなかで、労働者たちが寝泊まりしていた。

癖の悪いのがいたらね、廊下で肩が当たったの当たらんのでケンカになりますよ。新人は「これ古株だあ」ってことになったらね、通しますよ。へこへこしてね。

2019年12月26日

n27p04_002 ©1992 中島敏

杉山建設で出されていた弁当。力仕事のわりに粗末。中島は、飯場で出される弁当にこだわりがあり、ほとんど全部撮影しているという。

これは、マカロニでしょ。【マカロニはわかるんですけど…。】その下に、ハンバーグみたいなんがある。これ、野菜ですよ。ツマというか。

2019年12月26日

n27p04_004 ©1992 中島敏

宿舎のなかにはゲーム機を並べた部屋があった。写真には、ゲーム機の前にぽつねんと座る労働者の姿が映っている。

飯代は日当からかなり引かれたと思いますよ。【飯代が高い割に弁当がよくないということですね。】それで儲けるわけですからね、人夫出し飯場は。【しかも、ゲーム機は充実してる。何台もある。】それでまた支払った賃金を回収するわけ。

2019年12月26日

n27p04_015 ©1992 中島敏

梅本工業所、所在地は姫路市の網干。神戸製鋼加古川製鉄所の下請け業者で、定期修繕の業務を専門に請け負っていた。ここに寝泊まりする労働者は、業者の車に乗って加古川の現場まで仕事に行っていた。「喰い抜き」(飯代が引かれないこと)の一ヵ月契約であり、良心的な飯場だった。

わりかし人気ありましたよ、ずーっと3ヶ月ぐらいいる人いましたよ。まとまった金になるんだよね、喰い抜きだから。飯代が1200円とか、ねえ。大きいですよ、引かれたら。

2019年12月26日
現物資料
給与明細(梅本工業所1992)

n27p04_013 ©1992 中島敏

建物の1階が事務所と食堂、2階が宿舎になっている。中島は、以下のような順路を経て、釜ヶ崎から梅本工業所に行ったのだという 。

最寄りの駅に着くでしょう。センターの紹介状に電話番号が書いてあるんですよ。そんで駅前に必ず公衆電話あるからね、着きましたと電話を入れる。そしたら迎えに来るんですよ。

2019年12月26日

n27p04_012 ©1992 中島敏

宿舎内部の部屋は個室で、小ざっぱりしている。エアコンも入っていた。

ここは布団も、洗濯したやつを置いてくれとんですよ。自分でシーツをかけるんです。掛け布団と敷布団をね。そういうところ、多いですよ。飯場に着いたら、ちゃんとこれを使ってくださいという意味で置いてあるんです。

2019年12月26日

n27p04_016 ©1992 中島敏

飯場の敷地内の中庭。テーブルの上には、盆栽が飾られている。洗濯竿に並んでいるのは、職人が着るつなぎの作業服である。梅本工業所はもともと鍛冶屋が得意で、溶接などを手がける職人が3、4人いた。

つなぎを洗濯してるでしょ、溶接の職人がこれを着てるんですよ。私なんかはこんな格好じゃないんですけどね。

2019年12月26日

n28p11_008 ©1993 中島敏

尾張鉄の常磐寮、所在地は京都市の太秦。中島が古参の労働者から聞いたところによると、業者名の「尾張鉄」は、会津小鉄に由来するという。釜ヶ崎からは電車で西院駅に行き、駅から電話をかけ、番頭さんに迎えに来てもらった。食事がいい飯場で、中島は3回ぐらい行ったことがある。

一番最初に行ったときは相部屋だったんですよ。部屋の上の梁がむき出しでね。これは写真撮っとかなあかんと思って、だけど、その時はたまたまカメラ持って行ってなかったんですよ。もうほんま、むき出しの梁。三角形のね。両脇に布団並べてね、典型的な大部屋ですわ。それが頭に残ってたんだけど、2回目に行ったらもう潰されてた。あれ、おしかったね。

2019年12月26日

n28p11_015 ©1993 中島敏

個室の部屋は広めで、エアコンも備えつけられている。

常磐寮(個室内布団)

尾張鉄では、コンクリ打ちの仕事が多かった。たとえば、京都の高島屋の増館工事に携わったことがある。その労働の様子を、中島は次のように語った。

京都の高島屋の、増館工事をね。地中梁のコンクリ打ちって知ってる? 鉄筋のことを言うんですよ、地中梁って。いちばん建物の基礎のところに、杭を打ち込んでるでしょ。その上にザーッと、床の高さまでコンクリート打つんですよ。まわりをね、工事用の高い塀で囲ってるでしょ。夏の暑いことね。そんなもう、汗が噴き出るんですよ。当然、水や番茶も持ってきてるんだけどね。もう、ばんばん飲んでなかったら熱中症ですよ。コンクリート打ちやから、バイブレーターで使ってたらね、作業着なんか、ぼとぼとになるぐらい汗が吹きますよ。【現場けっこうしんどかった?】それはしんどかった、もう暑さがね、それが一番えらいの。

2019年12月26日

n28p11_013 ©1993 中島敏

ここはね、料理が得意だった。あの姉さんはね。漬物いうたら、京都の漬物ね。何種類もテーブルの上にあってね。私も漬物すきやからね。あれだけでビール飲めるからね。ほかに魚料理も肉料理なんかも、手が込んでて上手やった。だからね、この飯場は長い人が多かった。ずーっといてる人がいた。食事だけでも理由になりますからね。よそ行ったって、もらう金はほとんど一緒ですから。食事は行くところによって違いますからね。いいところがあれば、ここにおろか、という気になる。

2019年12月26日