労働者による、生活と労働の記録

釜ヶ崎の記録は数多く存在するが、中島敏の写真には 他にはみられない特異性がある。

まず、記録の期間である。中島さんの写真は、初期のものは1960年代末、最新のものは2010年代にまで至る。これだけの長い期間にわたり、ひとりの記録者が釜ヶ崎を撮影しつづけた写真群は、ほかにはない。これらの写真は、’60年代、’70年代、’80年代、’90年代、そして2000年代以降の、それぞれの光景を映し出す。それは、釜ヶ崎の戦後史をそのままに活写した記録に他ならない。

だがもっとも重要なのは、数多くの労働者とその生活・労働を記録した中島さんが、ひとりの釜ヶ崎労働者として生活してきたということだろう。つまりこれらの写真記録は、労働者自身による記録なのだ。それゆえ中島さんの写真は、労働者が生活するドヤ街のみならず、様々な労働現場や闘争の現場を、労働者の目線から記録している。それらの写真は、流動する労働者の身体を追いながら、釜ヶ崎という場が有する本来的な拡がりを可視化させてくれる。

中島さんの写真が釜ヶ崎の重要な記録であることはもちろん、その記録行為そのものが、労働者の生の軌跡を知るための手がかりになるのではないか。私たちはそう考え、中島さんに写真のひとつひとつを語ってもらい、その語りとともに写真を提示しようと試みた。そのことによって、釜ヶ崎の歴史的な深みと空間的な拡がりを、ここに再構成してみたい。

キーワードから写真をみる

旧寄り場(東四條) あいりん総合センター 飯場 関西空港建設工事

なお、このウェブサイトに掲載した写真は、中島敏がこれまで撮影したネガから、一部をピックアップしたものである。このほかの写真もふくめて中島敏フォトアーカイブでは閲覧できるようにしていくので、ぜひ参照されたい。