n05p03_013 ©1973 中島敏

センターの建物と道路(尼崎平野線、通称「尼平線」)とのあいだには、柵で囲われている敷地が広がっている。これは尼平線が拡幅される以前だったため生み出された敷地だった。現在は道路が拡幅されることにより、この敷地は潰されている。

交差点の角に立つ労働者は、鳶の職人だと思われる。

いまの鳶は、ズボンの絞りが足首まで来て、引きずるぐらいの感じでしょ。昔はこのスタイルだったんですよ。ニッカズボンではなしにね、これが職人のスタイル。たぶんこれは、アピールしてるわけですよ。俺は仕事が出来るぞ、ということをね。

2020年1月30日

写真に映し出されているように、あいりん総合センター1階の部分には求人業者が労働力を求めて集い、労働者は求人業者と相対して仕事を探した。その様子を、中島は次のように語る。

親父によったら、手をね、ばっと掴まえてみるわけよ。手をみたら、どういう仕事をどれぐらいやってきたか分かるんやね。学生の手なんか、ぶよぶよじゃないですか。一時間もスコップ持ったらマメができるようなね。そんなもん現場では使いもんにならんからね。手を掴むんよ、バッとみせろって、そして車に乗れって。

2020年1月30日