n08p11_016 ©1974 中島敏

1974年はオイルショックによる不況の只中で、多くの労働者が失業していた。センター2階のあいりん職安の窓口で認定をもらうために、労働者が行列をつくっている姿が映し出されている。中島自身も行列に並びながら、この写真を撮影した。

私の番号は22802なんですよ。やっぱりこれ忘れないですね、いまだに

2020年1月30日

番号とは、白手帳に付された番号である。釜ヶ崎の労働者にとって、白手帳は寄せ場の労働者であることの証しだった。また中島にとっては、アブレ手当は写真の活動をつづけるための拠り所でもあった。

アブレ賃はしょっちゅうもらってました。その金でまた写真を撮る。スポンサーみたいなもんやね。あの制度がなかったら、やっぱこれだけ撮れてないですよね、仕事ばっかり行ってたんじゃあ。

2020年1月30日